阿牧次郎のBlog

阿牧次郎の作品紹介など。

三好宗三周辺の謎2、宗三の父、三好越後守

 「河内の国飯盛山追想記」で主人公にした三好為三の父であり、号と法名で半隠軒宗三と呼ばれる三好政長は、三好越後守の三男とされている。

 宗三の父親で、文明~永正年間に三好一族の長であった三好之長の弟であり、為三にとっては祖父にあたる「三好越後守」も、名前が混乱している感がある人物である。軍記類では「勝時」とされることが多く、史料類や学術研究書では「長尚」とされている。長尚とされる根拠として挙げられているのが、次の文書である。東京大学史料編纂所のデータベース「日本古文書ユニオンカタログ」の検索結果は次の通り。

【和暦年月日】大永年間頃 【文書名】三好越後守長尚書状封紙
【底本】写真帳 宝珠院文書 【差出】〈三好越後守〉長尚[ウハ書]

https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/sda/w21/20150226003650

 他に検索でヒットするのが次の文書類。

【和暦年月日】(大永年間頃)3月2日 【文書名】長尚書
【底本】写真帳 宝珠院文書 【差出】長尚(花押)

https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/sda/w21/20150226003504

【和暦年月日】(室町後期)卯月18日 【文書名】三好長尚折紙
【底本】写真帳 護国寺文書 【差出】〈三好越後入道〉長尚(花押)

https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/sda/w21/20190913000014

 今一つ年月がはっきりしない文書類で、データベースの検索結果だけでは、原本のままなのか筆写物なのか、後から誰かが書き加えた部分があるのか無いのかは不明である。なぜここで疑問を抱くのかというと、三好之長の弟である越後守なら、元服したのは文明年間の頃になると思われるが、足利将軍は義尚の時期である。その頃活動していた人物ならば、将軍から偏諱を受けた人物以外は尚の字を付けることを避けるはずで、更に偏諱を受けた人物ならば「大館常興日記」で知られる大館尚氏のように、尚の字は上に来るはずである。足利義尚と活動期が重なる越後守が長尚と名乗ることは無いとみるのが自然であろう。こうしたことは、三好越後守の父である三好式部少輔についても言える。三好式部少輔は「長之」と書かれることが多く、「或いは長行」とされたりするのだが、阿波の守護細川成之の被官である式部少輔が之の字を下にもってくるとは考えにくいので、「長行」とする方が自然であろう。

 本願寺証如の天文日記にある天文九年六月十九日の記述に「今朝三好神五郎方就親越後死去事、為吊千疋以芝田遣之。」、廿日の記述に「自三好神五郎返事申候也。」とあるので、三好越後守は天文九年六月頃に死去したと考えられる。そこで、次の文書、

【和暦年月日】天文元年9月3日 【文書名】三好長尚書
【底本】写真帳 開口神社文書 【差出】長尚K(三好)

https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/sda/w21/20200207000019

について考察してみると、この文書の日付では足利義尚の死後40年以上経っているので、長尚という人物がいても問題は無い。長尚と三好越後守が同時に存在しているので、同一人物であると言うことも出来るが、長尚という名のある文書がもう一つある。

【和暦年月日】永禄5年7月13日 【文書名】三好氏奉行人連署奉書
【底本】影写本 曼殊院文書 【差出】貞長K/長尚K

https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/sda/w21/20000929030426

これは三好越後守の死後20年以上経ったもので、足利義尚の死後70年以上経っているため長尚という人物がいても問題は無い。天文元年は永禄5年のちょうど30年前になるので、天文元年の長尚さんは永禄5年の長尚さんの若い頃という可能性もあり、他の文書も同様のことが言える。というよりも、大永から天文初期の老齢の人物に長尚という名前がついていることは考えにくいため、長尚というのは永禄5年の人物であるという可能性の方が高いとも言える。この「長尚」さんは三好であるとも書かれていないため、そもそも歴史上「三好長尚」という人物がいたのかどうか、文献に出てくる「三好越後守」と文書に書かれた「長尚」という人物は同一人物なのだろうか、という疑問が出てくる。三好越後守が長尚という名であるという根拠の、書状封紙の上書であるが、誰か他の人の物と紛れた、あるいは誰かが後から間違った文言を書き加えた、という可能性も考え得るのではないだろうか。「三好越後守長尚書状封紙」は、今一度詳しく調査してみる必要があるのではないだろうか。史料名が付けられた当時暫定的に付けられた名前であるのか詳しく調べられた物なのか不明ではあるものの、今のところ、学術的には三好越後入道長尚という名の人物がいた、としておくべき問題かもしれない。しかし、勝時と書いてある他の文献があまりに多いため、小説などフィクションに登場させる際には、軍記の記述を基にして勝時としておく方が、昔の軍記物語から今の歴史小説まで、「物語」の登場人物として無難なように思われる。

 以上の理由から、三好之長の弟であり三好宗三の父である三好越後守については、今後とも小説の登場人物とする場合は「勝時」、学術的な問題を含む文章に書く時は「長尚」の表記を前提とした記述をする、という方針で文中に書き入れていこうかと思っている。

 

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