拙著「河内の国飯盛山追想記」が近日発売となるにあたり、事前に予告しておいた方が良いかもしれないと思われる事項について、ここに記しておこうと思う。
本作は、以前当ブログで報告した短編冊子の全面的な改稿となる。短編冊子では、最近歴史学で学説の対立がある「天下」という言葉の意味について、戦国時代の織田信長が活動した時期には天下の意味が五畿内に限定された地域を指した、とする説に従った記述をしたが、その説については執筆中から妥当なのかどうか疑問を抱いていた。その後調査し直した結果、信長の活動期においても天下という言葉はごく一般的な全国という意味であって、五畿内に限定される用法は無いとの結論に達したため、今回の作品では天下という言葉について、全国を指す一般的な意味で用いることにした。
戦国期に天下という言葉の示す範囲が五畿内に限定されるという、天下五畿内説とでもいうべき学説は、もともと神田千里氏によって提唱され、「戦国時代の自力と秩序(神田千里著 吉川弘文館 2013)」に収録された論文「織田政権の支配の論理」「中世末の「天下」について」の内容を、金子拓氏が「織田信長〈天下人〉の実像 (金子拓著 講談社現代新書 2014)」の中で紹介して広まり、その後神田氏自身の一般向け著作や、説に賛同する他の研究者の著作などでも紹介されて広がった。長さが学術書籍60ページに及ぶ論文のためか、反対説の立場をとる研究者からの詳細な反論というものを目にしたことはないが、おおむね、この説を採用した記述をしないことで反対の立場を示す形が多いかと思われる。
私も神田氏の「戦国時代の自力と秩序」所収の論文を読んでみた。要旨としては、外国人宣教師が「天下」という言葉を五畿内という意味で使っているというもの。しかしながら、「十六・七世紀イエズス会日本報告集 (松田毅一監訳 同朋舎出版)」から引用されている史料に、天下という言葉が五畿内という意味を表すと、直接的に述べている文章は無い。都の周辺を表すという表現はあるが、近江や越前も含む内容の文章になっている。他の記述もほぼ全て、幕府あるいは最高権力機関を示す意味で使われている。さらに、「日本報告」にせよ、いわゆるルイス・フロイスの日本史(中公文庫版 松田毅一 川崎桃太 訳 「完訳フロイス日本史」)にせよ、宣教師は、天下という言葉と五畿内という言葉を使い分けて文章を書いている。
これ以上ここであまりに詳細な検討をすると長くなりすぎるので、手短にすませるために反証を挙げることにしておく。
そもそも、宣教師云々以前に、織田信長が発した文書において、全国の意味で天下という言葉が使われている例がある。
信長公記巻六の初めに、松永久秀の話に続いて、信長が将軍足利義昭に示した十七ヶ條御異見(いわゆる異見十七ヶ条)が書き写されている。そこには、
一 元龜の年號不吉候間改元可然の由天下之沙汰に付て申上候 禁中にも御催の由候處聊の雑用不被仰付于今延々候是ハ天下の御為候處御油斷不可然存候事
とある。
国立国会図書館所蔵、改定史籍集覧第十九冊、P83後半部分
国立国会図書館デジタルコレクションの該当ページ
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920322/101
改元について「天下之沙汰」「天下の御為」という言葉が使われているが、使用される範囲が五畿内に限定される年号などはあり得ないため、織田信長および周辺の人々が用いた「天下」という言葉の意味は全国を指すのであって、五畿内に範囲が限定されることはない。
以上の理由から、異見十七ヶ条など、織田信長について元亀から天正にかけての研究をする際に大抵の場合言及されるであろう文書の文言について、検討がなされていない学説であるため、五畿内限定説を採用することは出来ない、というのが私の意見である。
他にも天下畿内説に対する反証となる日本国内の用例が幾つかあるが、ブログ記事としては長くなるので、機会があるならば改めて取り上げることにする。
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